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我が心は石にあらず (1967年)我が心は石にあらず (1967年)
(1967)
高橋 和巳

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あの頃輝いていた高橋和巳。でも私には難しそうで
手にしたのはこの本だけ。
捨てきれずに書棚にあって朽ちかけていたのをきっと
もう2度とは読まないと思いつつ読んでみた。
組合運動がもはや衰退してしまったことがあまりに時代を感じさせる。
活動のなんであるかなんてことは理解できなくても
その雰囲気に触れたくてその頃見栄で読んだとしか思えない。
今読むと実りの少ない身体も心も思考力もすり減らす組合活動の描写は
現実感に乏しいが久米洋子との関係や妻や妹との関係は
いまも充分読み応えがあり、
結構比重も大きかっことに気づかされる。
そして当時の女性の立場から言えばそうだったかもしれないが
やはり高橋和巳の女性像の限界みたいなものも感じる。
一方で男としては社会的な立場を維持するために
久米洋子を守りきろうとしないふがいなさなどは
まさにそうなんだろうな納得する。
それにしても久米洋子までふがいない女性に描くなといいたい。
60年代や70年代に愛された高橋和巳の清冽な印象が
よみがえって久し振りに高揚した気分で読んだいたかも。

僕って何

僕って何 (1980年)僕って何 (1980年)
(1980/06)
三田 誠広

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やはり当時を知る人だけにわかる空気ってものがあるかもしれない。
いま読み返すと懐かしく、いとしく、おかしい。
60年代の大学紛争のさなか
その流れに逆らうでも馴染むでもなく
僕って何?僕って何?と問いかけながらそういう自分を
もてあますようにふらふら生きる僕が確かにその時代いたはず。
角棒を振り回しながら、ヘルメットを被りながら、ジグザグデモのスクラムを組みながら、バリケードを張りながら。
それだけで大きなテーマなのに肩透かしを食ったように
母親やレイ子に回帰する僕がまたなんともいえない。
そこが僕ちゃんなんだよって。
それでも本気で僕ってと問いかけながら生きる僕ちゃんは
僕って何と問いかけることなどしない
僕がなんなのか一向に気にならない世代とはまた全然違う。

岬
(1976/01)
中上 健次

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ようやく中上健次の『岬』を読み終えた。
いつか読む気で本棚に眠っていた本。文芸春秋の初版本。
黄金比の朝、火宅、浄徳寺ツアー・岬の4作品が所収。
岬は芥川賞受賞作品。戦後世代が初めて受賞したと評判を呼び、その後も中上の作品は玄人受けして評価も高いけれど、なんとなく読みづらくて敬遠していた。暗い。難しいのイメージが先行。
どの作品も彼の生地紀州の最南端新宮が舞台。
主人公の彼・そして彼の複雑な出生にからむ断ち切れない愛憎が底流に。
その中で浄徳寺ツアーだけが異色。愛人関口由紀子と老人たちとの旅。その旅行中ただひたすら関口由紀子との関係を求める主人公。その妻はその頃陣痛に苦しみ出産のときというのに。それは彼が父親になるときでもあるわけだけれど、彼にとってそれには全く無頓着。現代の若い世代の出産事情とはかけ離れていて隔世の感。他の作品より固定化しない登場人物が生き生きしている印象。
 
 時代だけでなく地域としても隔離とは行かなくても紀州の新宮あたりは僻地の感が濃厚。そして雨量の多さと激しさも特別。せり出した山がそのまま海に落ちるような港や漁村。言葉も独特。それらがかもし出す雰囲気全てが作品を形作る大きな要素で中上作品の全体を覆っている。狭い路地の濃密で複雑で閉鎖的な親子。兄弟。夫婦の関係。その横の関係に成長する清新な若者の心情が交錯する。穢れなさを求める一方で波に掬われるように土壌に染まってゆくことを選択する。中上の書きたい気持ちが凝縮した作品。仇やおろそかに読んではい。一字一句まで大切に読むべきかもしれない。初めて読むのでそこまでの思いいれはなかったけれど、心をわしづかみにされてしまったような重みが残る作品ではあった。

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